1. ひとりぼっちの子どもたち

ますます小さくなる子ども集団


 地域に子どもたちがいきいきと遊ぶ姿がなくなったと言われるようになり、すでに20年以上の年月を経ています。平日の放課後、公園などに出かけても、子どもの姿を一人も見かけることができないというのも珍しいことではありません。


 たまに見かけても、2~3人でぶらぶらしていることが多く、集団的なあそびがいきいきと展開されていることはまずありません。広場など、子どもが比較的多く集まる場所でも子どもたちのあそびは、一年中ワンパターンで、男の子たちは、野球やサッカーなどの球技、女の子も縄跳びやバトミントンなど、道具を仲立ちにしたスポーツ的なあそびがほとんどです。


 子どもたちが大好きな「王様じんとり」や「がっちゃん」「手つなぎ鬼」などのあそびは、ちょっと楽しむのに抵抗のあるものになっているのです。それは、単に伝承的なあそびを行うだけの友だちが集まらないということだけではなく、「そんな子どもっぽいことやってられっかよ」という子の声があるように、スポーツ的なものに比べて一段幼稚なものととらえている精神文化の問題でもあるのです。


 子ども会や少年団の中学生たちが、「学校で活動のことを言うとバカにされる」というようなことを多く発言していますが、幼い時から、子どもたちは、勉強の面だけではなく、友だちとの一番楽しいはずの放課後のあそびの時間すら「できる・できない」「得意・不得意」という基準の中で必死になって人間関係を保っていることをおさえておく必要があります。


生まれた瞬間から子どもの文化が育たないシステム


 ある幼稚園の園長先生が「いまの子は、1、2才の時からもうあそびの文化が育たないのです。お手本となる3才以上の幼児が彼らの前からすっかり姿を消し、幼稚園に来てしまっているからです。」と言っていましたが、いまの子どもたちが子ども時代を自分たちの手で築き上げるための豊かな人間関係やあそびを通しての豊かな精神的土壌を築けないでいることは、実に由々しい問題です。


 その幼稚園の園長先生は、「子どもたちは、ちょっと年上の子どもたちが集まっている場所が好きなんです。花がいっぱい咲いているところに蝶が群がるように、子どもたちを切り離しては、お互いに死んでしまうんです」と言っていましたが、地域の子ども会や少年団は、会員にとってはお互いを生かす場であり、まわりの子どもたちにとっては引きつけられるようなお花畑になっているはずなのです。

 

やりきれなさ、イライラ、おちゃらけは、子どもたちの健全な心の悲鳴


 「広場でサッカーとかやったって、人数が少なくってゲームにもならないし、ただボールをけりっこしているだけで、そんなの毎日やってたらおもしろいわけないじゃん」。わりかた元気で親の目から見ても、友だちと外でよくあそんでいると思われていた高学年の子どもの声です。

 

 子どもたちは、忙しいだけで充実できない毎日の中で「イライラ」し、「むかついて」います。すべての子どもたちの間に蔓延している「いじめ」や異常なほどのおちゃらけは、子どもたちのやりきれなさ、どうしようもないつまらなさのはけ口なのです。お互いの精神的な不安定さのために、ますます友だちとの溝を気づかないうちに深くしてしまうのです。

 

 

 だからこそ子どもたちは、心の底からつき合え、いっしょに楽しむことのできる仲間を求めているのです。子どもたちの中にあるこうしたエネルギーをたいせつにし、そのエネルギーを人と人のかかわりが豊かになるような方向で発揮させていく場が今なによりも求められています。


新指導要領のもとでの学校生活と地域生活


 「良く発言して目立つ子は評価が高い」「おとなしい子は、たとえ物事を理解していてもよく評価されない」ような「意欲・関心・態度」をたいせつにする新学力観。「奉仕活動」や子ども会活動への参加も内申点とするような新しい指導要領のもとで、子どもたちはますます学校生活の中で自信を失いかけています。


 子どもたちが社会や自然の中に起きるいろいろなことに興味を持ち、どうしてなのか調べてみようという意識は、授業の取り組みと先生や回りの友だちの指導や励ましの中で形作られてくるものであって、それ自体が学習の対象です。


 ましてや学校外の活動をどうしようとそれは、子どもたちの自由であり、「なにもしない」ことも含めて学校の評価とは無縁の子どもたちの権利です。このことは、ますます多くの「学校ぎらい」の子を生み出すだけでなく、「地域活動ぎらい」の子も生み出しかねない点で私たちにとって、たいへん困ることです。


 その上に東京都では、1993年度入試から、高校の受験方法がこれまでの複数校への受験となる「グループ選抜」から一発勝負の「単独選抜」にされ、子どもたち親たちの不安が増大しています。また、「偏差値の撤廃」を名目に学校内で行われる「業者テスト」が排除されましたが、実際には、親や子どもの不安を反映して、校外で行われる会場テストや塾の学力テストが盛んに行われ、子どもたちの生活時間をますます圧迫し、受験競争への拍車をかけるものになっています。


子ども会・少年団活動は、現代の子どもたちの人間らしい成長保障の場


 ますます激しくなる受験競争や、「態度・意欲」といった心の動きまでをも点数化しようとする「目」の中で、学校でも地域でも子どもたちが、自分の思いをすなおに話したり行動したりすることができづらくなっています。


 こういう中で他人とうまくかかわれない子、人間ぎらい、人間拒否とも言える子どもたちが増えています。人間は、人と人とのかかわりを通して成長していきます。人と人とのかかわりが豊かな社会・集団の中でこそ、豊かな心と、優しい気持ち、しっかりとした考えや行動力を持った人間に育つことができるのです。いま、子どもたちが置かれている社会や集団の関係は、まったくそれに逆行するものです。


 私たちは誰でも、子どもたちの豊かな、人間的な成長を願っています。学校や社会、制度そのものを人間、特に子どもたちにとって暖かいものにすることが最も大きな保証になるのですが、現実の社会の動きは、まったくその逆になっています。


 だとしたら、私たちがしなければならないことは、社会に責任を持つ大人として、社会そのものの変革への努力を絶え間なく行うことと同時に、いま、この時代をがんばって生き抜いている子どもたちが豊かな人間関係を持った集団を彼ら自身の力で育てていけるように励まし、援助しながら、そういう集団の中での子どもたちの成長を最も人間的な成長として認め、長い目で見守っていくことではないでしょうか。