3. 現代の子どもたちにとっての「社会化」

   ~ 「社会化」が難儀な事情 ~

 大切なことは、コンパクトで利便な機械や道具と個人主義の価値観の普及が何をもたらしたのか?です。それは「多様な生き方の許容」でした。一見するとすばらしいことですが、子どもたちの立場から読み返すと、自分で自分の拠り所とする価値観や生き方を選択したり、模索する必要に迫られることになったということです。


 専業農家はもはや珍しく、サラリーマン家庭が一般化した状況のもとでは、商家でもないと家業の継承で自立できる子どもはなく、企業も受験エリートを必要としなくなり、有名大学への進学=安全、確実な人生行路でもありません。否、「年功序列」などは過去の話。時代はアメリカ並みの個人業績・能力評価を良しとする段階です。こうした世の中の変化を横目に見ながら、「社会化」の道筋を自前で開拓しなければなりません。ほとんどの子どもたちがこの模索を不可欠のものとしているとみられます。

 

 しかし、既述の通りで、子どもたちは1970年代から受動的な生活になれきっており、問題の発見や解決に向けた自前の試行錯誤経験にも乏しく、「無気力」、「幼児化」と評されるまでに至っています。地域社会に「共同体」の性格は失われており、少子化で子どもの数が減って、友達も限られている。これでは人間関係の訓練も文化の伝承もありえません。


 そもそも親(先行世代)から伝えられるべき「規範」があいまいであったことに加え、もはや何が「規範」なのか「社会性」であるかもよくわからない時代に生きている。この状況を「社会化」の定義やプロセスに照らして考えてみると、そこに求められる要素がことごとく欠落していることがよくわかります。なるほど「社会化」は容易でありません。


 では、どうする…