ところで、「17歳」事件もそうでしたが、特にここ10年位、子どもたちが重大事件を起こす度に、「なぜ、こんな子が?」、「普通の子がどうして?」、「伺いしれなくなった子どもの心」、といった類の見出しが踊ってきました。こうした表現の善し悪しは別の機会に論じるとして、しかし、「わからなくなった」とか、「どう理解すれば…」などの言い回しで、特に社会問題の一部として子どもたちの育ちの変化が注目された時期は、それより前にもありました。
私見では、戦後、こうした時期が4回あり、その内の2回は90年代のことです。たまたま1989年の11月に、国連総会で「子どもの権利条約」が採択されましたが、ほどなく90年代が始まったことになります。「子どもの権利条約」は、子どもの人権保障・擁護の今日的な世界的指標であり、その採択は世界史的なエポックとも言われています。
また、1989年は、日本では「(合計特殊出生率)
1.57ショック」が起こり、本格的な少子化対策の必要性なり、子育て(やがて子育て・子育ち)支援が問われる時代の幕開けでもありました。どうやらこのあたりから、子どもの育ちやその支援を考える新しい時代が始まったと考えてよいでしょう。そこで、まずは概ねこの10年、ないしは90年代に主として注目して、子どもたちの育ちの変化について考えてみたいと思います。
90年代における子どもの育ちの変化は、まず80年代の末から90年代の初頭に生じました。受け身というより、覇気に欠け、何でも他者依存・人任せ。自分で考えたり工夫しようとしない。一方では、自分が気にいったスタイルに固執し、常に自分本位な行動を貫こうとする。言わば、「無気力、幼児化、個人主義的な傾向」を強く持った子どもたちの登場が注目されたのでした。こうした状況は、次第に大人たちから、なよなよとつかみ所のない子どもという評価を与えられ、90年代も半ばには「ゲル」といった呼称までが登場するようになりました。(=戦後における子どもたちの育ちの変化・その3)
その後、こうした傾向を引きずりながら、90年代の半ば過ぎに、変化の第2幕が訪れます。1997年6月、通称「神戸事件」が明らかになりました。その後、98年の春頃まで、「ナイフ事件」、「キレる子現象」等の言葉で総括された、「14歳」の男子中学生を中心とする一連の事件が発生したわけですが、この頃のことです。前章で、2000年8月に文部省が発表した「平成11年度の生徒指導上の諸問題」に言及しましたが、そこに述べられている「衝動性や突発性」といった子どもたちの行動傾向性や、「規範」に対する認識の低下は、実は既にこの頃から俄に注目され始めていました。取り分け「人間関係の調整や自己表現が極度に不得手」とみられる子どもたちが登場する時代となったのです。(=戦後における子どもたちの育ちの変化・その4)
なぜ、こうしたことに…?その答えを求める旅にでましょう。