7. おにごっこ・かくれんぼからはじめよう

 「イナイイナイバー」というあそびをみなさんは知っていますね。小さな赤ちゃんが目の前にあるお母さんの顔を笑顔で見ています。お母さんの顔がスーッとはなれて自分の視界からはずれると、急に不安そうな顔に変わります。不安で泣き出す前にパッとお母さんの顔が現れると赤ちゃんは、それ以前にも増して満面の笑顔で笑い声も立てて「喜び」を表現します。

 最初のころは顔の正面でのイナイイナイバーも慣れてくると部屋のドアの向こうにお母さんが出ていくまで目で追い、ドアの向こうから再び現れるであろうお母さんの姿を期待するまでの長い時間を楽しむことができるようになります。歩けるようになって自分のからだがより自由になると、今度は、自分からお母さんのそばを離れ、追いかけてもらったり、お母さんにそっと近づいていって、「バー」とお母さんを驚かせたりする事を喜んでやるようになります。

 遊んでいるつもりでお母さんから遠くに離れた時、お母さんがそれと気づかずに追いかけてくれなかったり、別の方に行きかけたりすると、慌てて戻ってきて大泣きして「なぜ、遊んでくれないの!」と抗議したりする事も出てきます。

 隠れんぼをしていて、鬼が近づくと見つけてもらうのを待ち切れずに自分から飛び出してしまうほど「見つけられる」というワクワクドキドキ感を心の中で高めているのです。

 鬼ごっこ、かくれんぼの中で欠かす事のできない「鬼」という役は、見つかったり、捕まったりしたらとって食われたりしてしまうような恐ろしい存在ではなく、むしろお母さんのような暖かさを持った存在のようです。逃げるのも楽しいけど捕まって役割交代するのも楽しい、鬼ごっことかくれんぼの要素は、子どもたちの遊びの中に欠かす事ができません。

 鬼ごっこ・かくれんぼが本格的に子どもどうしで楽しめるようになるのは、小学校に入ってからです。それまでは、「子」の役をやるのは楽しくていいけど「鬼」の役がいやで泣き出してしまう子がいたり、逆にみんなが「鬼」をやりたがって収拾がつかなくなってしまったりすることがよくあります。そういうことであそびが成り立たなくなって、かえってつまらない思いをしたという経験を積み重ねて、小学校に上がるぐらいになると、数人の仲間たちとなら一定時間を自分たちで上手に楽しめるようになってきます。

 さらに小学校の低学年になると、単なる追いかけごっこから、鬼からの安全地帯を持ったあそびへとあそびの質を発展させます。高い所にのっていれば鬼に捕まらないというルールの「高鬼」。「カタチ」「コオリ」などと宣言してストップモーションになれば捕まらなくなる「かたち鬼」や「凍り鬼」。「木鬼」「島鬼」「電柱鬼」等々、遊ぶ場所に応じたルールが作られていきます。

 子役がどんどん安全地帯に逃げ込んでしまっては鬼がつまらなくなるので、鬼を助けるためのルールもできてきます。安全地帯には10秒以上いることができないとか、同じ安全地帯には二人は入れず、あとから逃げ込んできた者があればそれまでいた者は出なければいけない等、より緊張感のある鬼ごっこへの変化です。

 こうしたあそびは、せいぜい十人前後の、低学年の子でもパッと全体が見渡せる人数ぐらいでのあそびです。あそびの展開が見渡せる範囲の広さと人数で遊ぶ事で子どもたちは、自分たちで遊びを維持・展開させる方法を身につけていきます。

 高学年以上になって、もっと大きな集団(20人前後)を把握できるようになるとさらにスピード感がある鬼遊びや隠れ遊びに発展してきます。鬼がどんどん増殖していく「手つなぎ鬼」や「缶けり」「ポコペン」などの遊びがその代表的なものでしょう。

 集団をまとめる能力、あそびを維持・発展させる能力が発達するにつれ、一人対全体から集団対集団の鬼あそび・隠れあそびも生まれてきます。「どろぼう」と「警官」に分かれての追いかけごっこは「けいどろ」「どろじゅん(どろぼうと巡査)」などと言われ、この時期の子どもたちの大好きなあそびのひとつです。

 このあそびになると、逃げる-追う、隠れる-捜し出すという鬼あそび、隠れあそびの両方のたのしさを持つだけでなく、「牢屋」をめぐって味方を「脱獄」させようとするどろぼうと、そうはさせないという警官隊との攻防戦もあそびの魅力を高めています。さらにどろぼうを捕まえるためには、警官は一〇秒以上どろぼうを押さえ込まなければならないというルールもあり、高学年のエネルギーを体と体のぶつかりあいの中で昇華させる効果も持っています。

 今の子どもたちのあそびの中にはほとんど見られなくなりましたが、「水雷艦長」というあそびは、「けいどろ」をさらに複雑にしています。チームに一人の艦長(戦艦)を決め、チーム内の作戦会議で「戦艦」「駆逐艦」「水雷」の役割分担をします。戦艦は、敵の駆逐艦に勝ち、駆逐艦は、水雷に勝ち、水雷は戦艦に勝つことができるという三すくみのジャンケンのようなルールです。敵の艦長を水雷が捕まえたら、そのチームの勝ちとなります。

 相手チームの子の動きを見ながら、その役割によって、逃げるのか捕まえるのかの判断を瞬時に行い、味方が捕まらないようにフォローしたり、捕まった味方を助けにいったり、味方の艦長が捕まらないように守りきるという高度の集団性と知恵、技を必要とするあそびです。いかにも戦争中のあそびを象徴したようなルールですが、戦後のあそびの中でこれだけ洗練されたあそびを見ることができないのはどうしてでしょうか。

 誰でも知っているようなあそびを紹介しながら長々と鬼あそび、隠れあそびのことを書いてきましたが、実は、小学校に上がるぐらいからあそびが今まで書いたようには発展していかないのが現実なのです。

 子ども集団の発展とあそびの質の発展は、相互に結びついています。とことん遊びきれる子ども集団がなければあそびは発展しません。子どもが大勢いてもその子たちに合ったあそびを自分たちでとことんやりきることがなければ、あそびが発展しないだけでなく、遊びきることで成長していくレベルの高い集団性や、仲間意識を自分のものにすることができなくなってしまいます。

 ぼくは、子ども会や少年団の中でこそ、普通のあそびをどんどん行ってほしいと常々言っていますが、いわゆる「レクリエーションゲーム」では、その場の楽しさを得ることがあっても子どもどうしが切瑳琢磨しながら、子ども集団と子ども文化としてのあそびを育て継承していく力にはなれないと思っているからです。

 さて、そこで提案ですが、いま一度、鬼あそびや隠れあそびを小学校低学年ぐらいのレベルのあそびからていねいに少年団の中でたどっていってほしいのです。少年団の中には、高学年も中学生もいることでしょう。けれど、年齢が高いからといって、その子やその子を含む集団が高い集団性を持った複雑なルールのあそびを自分たちで気ままに展開できる力をもっていることはほとんど望めないのが現実だと思います。ですから指導員としては、もう一度あそびの発展の法則にそってひとつずつのあそびをその集団の中でならいつでも生き生きと楽しくできるようになるまでくりかえしつつ次の段階に一歩ずつすすめてほしいのです。

 ぼくが、児童館の実践を通して感じることは、ひとつの集団あそびが一定のグループの中に定着し、子どもどうしで遊びあえ、新しい仲間にも伝えていけるようになるのには、週一回のテンポで遊んだとして半年から一年はかかるということです。

 「けいどろ」ができる集団をめざすには、これまで書いてきたようにたわいのない鬼ごっこを飽きるほどやることから始めます。「Sケン」ができる集団をめざしては、「ケンケンすもう」や「人とり」などのわりかた単純な戦いのあそびや「くつとり」などの宝の奪い合いあそびから入ります。「王様陣取り」のためには、一本ラインの上で「ドン・ジャンケン」をしながら相手陣地をめざす「アメリカ陣取り」や、ともかく相手チームの子と「ドン・ジャンケン」し、勝ったら追いかけ、負けたら自陣に逃げもどる「開戦ドン」などのあそびをまずはとことん楽しみましょう。

 町に子ども会や少年団があるということは、子どもたちのあそびが豊かに発展する保証があるということです。その有利さをおおいに生かして、町中にあそびを広げてほしいと思います。

 遊べる集団に属していない子、あそびをよく知らない子にとっては元気よく走り回り、楽しく遊ぶことのできる少年団の子どもたちは、魅力いっぱいに映ることと思います。でもひとつだけちょっと注意してほしいのは、あそびを知らない子が、ちょっと複雑に見えるルールを持った大きな集団のあそびに「入れて!」と加わってくるのにはものすごい勇気を必要とすることを理解しておくということです。ですから、子ども会や少年団の子どもたちは、いつでも一つ前のあそびの段階にもどって新しい子を迎えて遊べたり、ごく自然に次の段階のルールを伝えていけるようになってほしいのです。■