3. 子どもたちの苦悩

 棚橋先生(京都少年少女センター)は、研究会での講演の中で、子どもの発達の筋道に触れながら、他者の考えを自分の中に取り込んで、同じ点や違いを押さえながら、自分の意見や行動を決めていく「二次元」の考え方ができるようになることが人間にとってたいせつで、そのためには、他者とのゆとりと期待のあるゆたかな関係づくりが必要、という事を述べていました。

 

「キレて、閉じこもって、立ちすくんで、高校生になってもそういう子が集まっている学校。朝職員室で待っていてドーンと背中にぶつかってくる子。人の後ろにずっとくっついて歩いている子。1年ぐらいたったらようやく教師のところから離れて、友だち同士の方がよくなっていった。幼児期・少年期にやり足らなかったことを高校に来てやりなおしている。

 

 幼児期の問題が絶えず繰り返されているなと思う子どもだけじゃなくて、たとえば、喫煙した高校生と話している後ろを何事もないかのように無関心に通り過ぎてしまう若い教師もいる」

 

と、人と人の関係を作り出していく部分での苦悩が世代を超えて共通していることを私立高校教員の樋口さんが研究会の中で指摘していました。


 岩田さんは、レポートの中で

 

「親には、(いじめられていたことを)あまり言えなかった。Eさん(私)は一人っ子で、小さい頃からずっと"いい子"だった。成績も優秀だったし、『しっかりしていて、明るい子ね』と言われ続けて育ったのである。親の期待もずっしりと感じてきた。


 というのは、実は彼女の母親は、彼女を産む前に2回流産(1回は死産)していて、いつも『あなたは3人分の期待を背負って生まれてきたんだからね』と言われていたのだ。さらに、父親は教師で、母親も書道塾の教師をしていたため、周りからも『先生の子なんだからできて当然』という目で見られていたという。

 

 だから彼女は、いじめられている自分を、親に顔が向けられないほど恥ずかしいと思い、こんなことを言ったら、親に恥をかかせることになると思ったのだそうだ。だが、1度はちょっとだけ親にうち明けてみた。しかし、『みんなが無視するなら1人でいなさい。自分から相手にしなければいいのよ。名誉の孤立よ。そんなことに負けてはだめ!』と言われてしまった。


 彼女はそれ以来、どんなに大泣きしていても、家に帰るまでに泣きやんでから帰ったと言う。それは、親にあまり心配をかけたくないのと同時に、あんまり弱いところを見せると親に軽蔑されてしまうのではないか、見放されてしまうのではないかという恐怖もあったような気がすると彼女は言う。」

 

と書いています。

 

「勉強ができて、大人の言うことをよく聞く、問題行動を起こさないいい子」と言う画一的な価値観社会から押しつけられる中でが子ども自身の中に育ち、もっと自由に自分の気持ちを表現したり、他人とぶつかり合ったりできなくなっている現実の辛さを語る若者たちの声にわたしたちはもっと耳を傾ける必要があります。


 棚橋先生は、「画一的な価値観・集団関係の中では、子どもたちのダイナミックな発達は期待できない」と言っています。多様な価値観・人間関係を切り結ぶことのできる集団(組織)をすべての子どもから大人まですべての世代に保障することが、人間的な発達を促す上でいまなにより求められることなのではないでしょうか。