3. 「生きる力」を育てる地域の異年齢集団づくりの活動から学ぶ

 前節の問題意識にたって、1972年に設立された「少年少女センター」を中心とする活動事例から学びながら、「生きる力を育てる」上で大切なことを明らかにし、同時に学校教育との接点を探っていきます。

 少年少女センターは、「少年少女組織の自主的・民主的な活動の発展を援助することを目的」(運営要綱より)とするNPOで、主に、「少年少女組織を作り、育てる活動」「少年少女組織を支える父母の会を作り、発展させる活動」「指導員の養成と、相互交流・学習を進める活動」(同)を行なっています。

子どもの住民自治の活動

 少年少女センターにかかわる地域子ども組織は、「どろんこ少年団」や「杉の木少年団」のように「少年団」という共通の呼び名を持っているところが多いのですが、全国統一の「誓い」や「おきて」を持ったスカウト型の少年団や子ども組織とは異なり、そこに参加する子どもたちの意見で団体名も会の「目的」や「きまり」、「やくそく」なども決まるという独立した子ども集団です。

 地域の子ども組織は、住民である子どもたちが、自分たちの願いを地域のつながりの中で自己実現していくための「子ども住民自治活動」として育つことが求められます。

 また、ここで言う「地域」とは、10代前半までの子どもたちの行動範囲やつながり、社会的発達段階などに即して、おおむね中学校区程度の「子どもの生活圏」の範囲としてとらえています。

要求や願いを集団的に実現する活動

 東京のM区にある子ども会では、月1~2回、土日を利用して小学校の校庭で「遊び会」を行なっています。「遊び会」の前には手作りのチラシが子どもたち自身の手で、朝、登校する子どもたちに手渡されます。遊び会でどんな遊びをするのかを相談したり、チラシを作ったりするのは、立候補で決まった「実行委員」の子どもたちです。

 ここでは、子どもたちを発達の主体、地域生活の主権者として捉え、「だれでもが参加でき、みんなで話し合って、民主的に活動していく子ども集団(子ども組織)を育てる」ことが意識的にとりくまれています。

 この会が夏休みに海での「お泊り会」を計画しました。お泊り会は4月の「総会」の時に子どもたちみんなから「やりたい」という声が出て決まった行事の一つです。前年度参加者の対岸の堤防まで泳いで渡って堤防の上から海に「かっこよく」飛び込みたいという「あこがれ」や「夢」が計画を強く支えていました。実行委員が選ばれ、遊び会と同じように学校のすべての子を対象に参加の呼びかけが行なわれました。

 子どもの家を持ちまわって行なわれた実行委員会の話し合いの中で「楽しく歌って、海でもどこでも、ともだちいっぱい、なかよすぃ(し)子」という目標が決まりました。「目標があったほうが、班やみんながまとまりやすい」「自分や班がなにをがんばったらいいのかがよくわかる」と子どもたちは言います。与えられた目標ではなく、自分たちが何をがんばりたいのか、何のためにそのとりくみをするのかを考え合って、自分たちで決めていく目標だからこそ、決める過程を通して子どもたちはお互いの思いに気づき、共通の目標(願い)のために力を合わせてがんばることの意味をつかんでいくのです。

 班は小学校1年生から中学生まで、縦割り男女混合です。全員が班長、食事係、生活係、道具係に分かれ、年長の子も年下の子もそれぞれが自分のできることをしっかりやることで当日の生活をつくりあげました。プログラムの節目ごとに行なわれる班会や係会議で自分たちの仕事の進み具合や生活の問題点、がんばった成果をまとめ、「朝のつどい」や「班長会」で発表しあうことで、目標に向けての達成度や次の行動の課題を確かめ合っていきました。

 自分の要求や願いに気づき、意見を述べ合い、どうしたら実現できるのかをみんなで考え合って、目標を決め、計画を立て、役割分担をし、実践し、その結果を総括し、成果や教訓を明らかにすることを通して要求や願い、実践の質の向上をめざす。個人の要求を集団の要求として高め、その実現を集団的に行なうことで、個人の発達と集団の発達を結びつける。

 異年齢集団であることが、「お兄さんやお姉さんがやっていたようなことを自分もやってみたい」というあこがれと結びついて要求や願いになり、年上の子から自分のがんばりを認められたいという思いががんばる力になる…そんな人間的つながりの力も見逃すことのできないポイントです。

ともに学び生き方を考える活動

 この子ども会では、毎年、「青空学校」という行事にとりくんでいます。今回は、「散歩」というテーマで町を歩きながら、わくわくどきどきするものを発見しようということになりました。この地域は湧き水や大きな池もあり、いまでは埋め立てられて緑道になっていたりしますが、2つの川にはさまれ、かつてはその水を利用した畑や林の広がる田園地帯でした。その名残を感じながら、住宅地となったいまの地域にも「おもしろいもの」がいっぱいあることに気づいてもらい、この地域に生まれ育って良かったという思いを感じてほしいと言う青年や大人たちの思いで決まったテーマでした。

 「青空学校」というのは、少年少女センターが提唱する活動のひとつで、1.学ぶ喜びを子どもたちに、2.仲間と生活する喜びを子どもたちに、3.自治の力を子どもたちに、という3つの目標を持ち、地域や生活の中にあるさまざまな事象をテーマに異年齢集団でとりくむ総合学習の場です。1971年に東大駒場キャンパスを会場にパイロット的に開催された第1回青空学校以来、全国に広まり、多いときには全国30数校に3000人以上の子どもたちが参加していました。

 2002年度から実施された新指導要領では「総合的な学習」が新しく加わりました。総合的学習は、「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること」「学び方やものの考え方を身につけ、問題の解決や研究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること」をねらいに掲げています。

 青空学校では、この学習の主体を子どもだけでなく、まず、なによりも住民である父母や青年であると考え、住民として教師や専門家、地域の先達の協力を得ながら、自らの地域や生活の中にある課題を発見し、子どもたちといっしょに調査、学習、研究することを通して、その課題と生活との関わりを考え、子どもだけでなく大人も、ともに生き方を考えあうことを学習の大きなねらいと考えてきました。

 干潟の学習をする中で、自然環境と生き物の命の大切さを学び区長に手紙を届ける活動を行なったO区の青空学校。近くを流れる川の学習を進める中でひとり一人が鮭の稚魚を育て、川に返すとりくみをしたT市の青空学校などの貴重な実践が各地で積み上げられています。

子ども文化の創造を子ども自身の課題としてとりくむ活動

 この子ども会の子どもたちも参加しているNPO法人東京少年少女センター主催の「少年少女キャンプ村」では、毎年、たくさんの子どもたちに愛唱される歌が誕生します。31年の歴史のあるこのキャンプ村では、子どもたちの団結のシンボルとして「テーマソング」をみんなで決めます。キャンプ村の参加者は、住んでいる地域ごとにまとまって「村」という集団を作ります。ひとつの村の規模は30人~40人で10くらいの村が作られます。ここにも子どもの生活圏を基本とした独立した地域活動をベースとする考え方が貫かれています。

 村ごとに案が考えられます。10代の子どもたちが中心になって曲を考え、歌詞を考えていきます。創作された歌は、その村(地域)の子どもたちの歌声となってキャンプ前に行なわれる参加者全員による「総会」に提案され、投票によって全体のテーマソングが決定します。

 地域の準備会の中で、バスの中で、キャンプ中の「つどい」の中で、ちょっとした時間があればギターやタンバリンの伴奏で繰り返し歌われ、一つの地域から誕生したテーマソングは、連帯と団結のシンボルとして全体のものになっていきます。

 このキャンプ村の中では、マスメディアの中で流されるような歌はまったくと言っていいほど歌われません。もちろん子どもたちがそういう歌を嫌いだと言うのではありません。普段の生活の中では一時もヘッドホンを外さずにいる彼らですが、自分たちが作り出す活動の中で歌う歌とは、異質なものを感じるのでしょうか。

 昔から子どもたちの生活の中には、遊びや活動と結びついたわらべ歌や遊び歌が伝わっていました。まりつきの歌やなわとびの歌など、歌を聴くだけで自然と体が動き出してしまいます。いっしょに歌って遊ぶなかで子どもたちは、ひとつにつながっている心地よさを感じていました。

 子どもたちの自治的な活動を基礎にしたこのキャンプの中で作られる歌はアップテンポのフォークソング風のものですが、それを歌うことで仲間と活動を感じることのできる現代版わらべ歌とも言えるものになっているのです。

仲間や生き方について考えい、自己を再発見する

 「私は、小四の時、イジメにあっていました。クラス中の人から無視されていて、学校に行くのがいやで、毎日、朝になると『学校に行くのいやだなあ』って思っていました。…その時ぐらいから『人に弱みを見せたらまたいじめられてしまう』と思い、人に自分の弱いところを見せるのがとてつもなくいやになってしまいました。…中学に入って、友だちとうまくいかなくて、部活の先輩ともだんだんうまくいかなくなって、…どっかでまたうまくいかなかったらどうしようって言う気持ちがあって…夏の学校(東京少年少女センターが主催する6泊7日の中学生対象のキャンプ)には、『行きたい』って言ったけど、少しだけ行きたくないって気持ちもありました。その時、いろいろ考えて、『家でヘロヘロしている自分をそのまま出しちゃえ』と思って、…そうしたら何だか、みんなとうまくやれて『あ、私はそのままでいいのだ』と思いました。…学校で友だちとうまくいかなくても、ほかに知り合った友だちがたくさんいると思うと、気が楽になるし、そうすれば人に優しくできるし、…」

 M区の子ども会のリーダーが、中三の時にキャンプファイヤーのあとに行われた「中三交流会」でみんなに話した言葉です。

 あそびやキャンプなどの楽しい行事、学ぶ活動などの実践を通して、全身で感じるものを、自分の中で見つめなおし、他の仲間にきちんと伝えていくことは、特に思春期以降の子どもたちの自己確認、自己の再発見、自分探しにとって、大きな意味をもっています。

地域の教育力の要、青年集団・父母集団

 子どもたちが自分を見つめ、語りだす上で、大きな支えになっているのは、年長の青年たちの存在です。青年は、自分が通り過ぎてきた道を振り返りながら、子ども時代、自分にとって何が大事だったのかを語って聞かせます。子どもたちは、彼らの姿や言葉を通して自分の生き方とすり合わせながら自分を見つめていきます。

 青年の少年少女時代は、子どもたちにとってそんなに過去のことではありません。そこには共通の文化、価値観、時代性が流れています。同じでありながら少し前を行く青年たちの姿、考え方、生き方は、いわば、子どもたちにとって無理なく自分の未来を映し出す鏡とも言える存在です。

 「なぜ、勉強するのか」「なぜ、学校に通うのか」「なぜ、仲間を大切にするのか」「なぜ、地域を大切にするのか」「なぜ、年下の子と関わるのか」「父母や大人、教師たちとどう関わるのか」「生きる上で何を大切にしているのか」…子どもたちが当然のように感じながら、でも大人からはなかなか納得のいく回答の得られないこれらの問題に、精一杯の生き様と真摯な態度での語りで応えようとする青年がいてこそ地域の異年齢集団は、学校でも家庭でも得られない大きな教育力を発揮するのです。

 しかし、青年たちもまだまだ、社会的には未熟な存在です。自分が将来どのような道に進むのか、どういう大人になるのか、まさに暗中模索の時代をすごしています。子どもたちに自分の生き方を振り返って語ることは、彼らにとっても自分の足元をいつも確かめ、確信をもちながら明日を生きる上でとても大事なことなのです。

 また、小さい子どもたちとのふれあいは、自分が忘れかけていた素直さ、一生懸命さなどを思い出させてくれるなど、現実の問題で悩み、殺伐としそうになる心を癒してもくれます。

 そんな青年たちを支え、彼らの生き方を励ますのが地域の父母住民の役割です。ある青年リーダーがこんなことを語っていました。

 「親に反抗するようになりました。自分の部屋の壁をけとばしたりして穴を開けたり、暴れて本箱を壊したり、その辺にあるものに当り散らすようになりました。自分で自分の感情をコントロールできないのです。…両親に手を上げたときはさすがにやばいかなと思いました。…子ども会のおばさんたちは、『相談があるからちょっと聞いてくれる?』とか言って、子ども会の集まりの後に子どもの相談をされ、ぼくの意見を聞かれたりしました。『このおばさんたち、ぼくのことを大切に思ってくれているのだ』と、とてもうれしかった。母は口がうまく、ぼくは自分の思いがうまく言えないし、反論できなくて、結局、暴れることになっちゃっていたのだと思います」

 まだまだ子どもだと思っている親、一人前になりたいけど、どうしていいかわからない子ども、青年期にはよくある家庭での光景でしょう。子どもが大きくなればなるほど、視野がひろがればひろがるほど、小さな家庭の中での価値観だけで子どもを育てようとするのは困難になります。

 小学校・中学校ぐらいまではPTAなどもあって子どもの問題を相談しあったり、他人の子にも関わって、育てあったりする機会は努力をすればそれなりに持てますが、青年期になり、「学校」という共通項がなくなるととたんに子育てが孤立してしまいます。そんな時に「地域」という共通項を持っている。しかも「この子ども会の子どもたちをいっしょに育てている」という意義のある共通項を持っていることで、子ども時代とは一歩進んだ質の高い親子関係や子育ての共同関係を持つことができるのです。

 混沌とした時代に生きる目標を見失いそうになる若者たちが少なくありません。小中学校を卒業してわずか数年先にはどの子も青年期のこうした問題にぶつかるのです。教師は、卒業後の子どもたちの生き様にも責任を持っています。「集団や社会の一員としてよりよい生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てるとともに,人間としての生き方についての自覚を深め,自己を生かす能力を養う」ことが本当に自分たちの教育実践の中でやりきれていたのかを、卒業後の青年たちの姿が示しているのです。

 教師は、子どもが一人前に育つ過程の重要な一歩を担っていると言う自覚を持って、広い視野と長期的な展望に立って、学校の教育力と地域の教育力をどう結びつけて、子どもたちの自己形成につなげていくのかを真剣に考えなければならないのです。