4. 地域に開かれた集団の良さ

 私たちの子ども会・少年団の活動の根幹に、そんな人のあたたかさ、つながりがあるということ、このことが私たちの活動の、とても大切な土台になっていると思います。しかも閉鎖的なものではなく、いつでもどんな子どもでも受け入れる、地域に開かれた集団であることがもう一つ大切な要因だと思います。


 今、子どもたちが発するいろいろな信号(事件)の原因の一つに、親の孤独が言われている時、私たちのような活動が地域にあることの大切さを、指導員のOGで、愛知の私立高校で教師をしている樋口さんがこんな風に言っています。


「学校にはいろんな問題を抱えてきた子どもたちがたくさんいる。だから子どもの起こすトラブルもいろいろ。親と連携を取らないとなかなか解決はできない。そんな時ぶちあたるのが親の姿勢。(中略)


 ある時、ケンカをしてしまった子どもの家庭訪問に行った。仕事先から父親が帰ってくると子どもの顔がさっとゆがむ。その顔は恐怖の表情でいっぱい。


 子どもにとって怖い父親に「気に入らないとすぐ手を挙げて相手を傷つけてしまう行動は、今まで彼が育てられた環境の中で身につけてしまったものではないですか」とおそるおそる私たち職員が話をすると、しばらく黙っていたそのお父さんが「そうかもしれませんね。この子にも悪いことをしたのかもしれませんね」と言った。


 そのとたんその子の表情ががらっと変わった。それは、父親を馬鹿にしている顔ではなく何とも言えない安堵の表情だった。我が子がしでかしたことについて親が謝る。そのことで本質が解決するわけではない。当事者は本人なんだから。でも、親が謝ることって大切なんじゃないかと思う。本人が事の重要性を考える上で恥をかかせてしまったと言う負い目をおわせるのではなく…。


 そのことによって、自分の非をきちんと認められるようになるのではないだろうか。共に謝ってくれる親の存在が、ことの重大性を伝え、親のことを自分のことを考えてくれる一人の大人として支えに感じるのではないだろうか。


 そういうことって地域の中で先輩の親から言われて繋がっていくのではないだろうか。そう言う会話の中には子どもと生きていくヒントが無数にあるような気がしてならない。


 不登校の子どもを持った親は地域から孤立してしまうことが多い。本当に困った時に、同じ痛みを持つ者だけでなく、いろんな困難を乗り越えた親たちが集まって他人の子どものことを我がことのように語り合える親の集団。「うちの子がね…」ってどうどうと言えちゃう仲間のいる地域。そう言う物の大切さをいつも感じてしまう。

 

 子どものためにがんばれる集団が、いたるところにあったら、うちの生徒たちのようにつらい思いをする子どもはもっと少なくなるんじゃないだろうか。(中略)

 

 そんなことを自信を持って言えるのは、私が少年団に関わってお母さんたちの姿を見てきたからじゃないかな。6年生の子の親が1年生の親に向かって「1年生なんだからそんなに焦らないでいいのよ」って言う一言。その言葉が今大事なんだと思う。


 指導員なんてまだまだ若くて何が言えるわけでもない。でも、「父母会やりましょう」って親たち相手にがんばっている。教育のプロの教師たちにやれないわけがない。わからなければ親に頼ればいい。こんなこと少年団を知らなかったら言えなかったんじゃないだろうか。


 私が少年団に関わっていてよかったなって思うことは「子どもは集団の中で、人間の中で育つのだ」と言うことを「学校」という教育現場に出る前に体で感じさせてもらったということ。


 仕事として取り組んでいると、壁にあたったりイヤになったり…手放してしまいたくなることがいっぱいあるけど、それでもがんばっていこうとする気持ちやいつかはきっと…と言う期待感を持ち続けることができるのは、自分自身が集団づくりに関わってきた経験が力になっているのだと思う。」


 私たちの活動は「ただ自分の子どもに、生きていくための力を育てるだけではなく、人を育て地域を育てている活動なのだ」と改めて思います。「人が育つには、矛盾と、ドラマと、涙が必要だ」とおっしゃる方がいます。きれいごとではない人間を、人の弱さや、強さ、喜びや悲しみ、怒り、矛盾を含め、まるごとかかえている仲間関係を育てることをめざしているからこそ、すばらしいのだと思います。


 「別冊・東京の子ども会少年団 Vol.8」の巻頭に「子どもたちに希望あふれる少年や少女時代を」と書いてくださった、東京の公立小学校教員の山崎先生は、


「センターの実践は人間が全面的に発達する視点があってすばらしいと思っています。どの子も伸びる可能性を持っています、でも伸び方は個性的で意欲と関わりながら伸びていきます。


 私の担任した子に寡黙症の子がいました。クラスの子が彼の成長を待っている。自分を出すことをまわりが喜んでくれる。この場だったら表現できる、自己存在の誇り、自信。こんな仲間関係の中で彼は変わっていきました。人間の意欲とはすごいと思いました。


 センターの中にはこんな話はたくさんあるでしょう。特に15歳から25歳の青年期に、人とぶつかり合って喜びや、悔しさで涙を流せるなんていうことは、今まったく考えられません。センターの若者たちはそれだけでもうらやましいと思います。」


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