3. あそびを育てる意味

 子どもたちにとってあそびは、生きることのすべてといってもいいと思います。学校では、先生のいうことを家庭では親のいうことを聞いて、大人に会わせて生活しなければなりませんが、地域のあそび集団の中では、自分の意思でどんなことにも挑戦できるのです。

 地域には、子どもがわくわくするようないろんなフィールドや表情があります。大人には入れないような家と家のすき間につくった隠れ家や公園の植え込みの奥に作った秘密基地で子どもたちはいろんな夢を語り合います。路地裏の草花や、落ち葉の下に住む昆虫たちも子どもたちのあそび相手です。大きな山を作って、思い切り崩す、頭の先まで泥だらけになる、全身びしょびしょになって遊ぶ。おだんごを作ったり、型をぬいたり、小さな子どもたちにも自由に扱える砂やどろんこでのあそび、水あそびは、子どもたちに大きな開放感を与えてくれると同時に創造性を刺激してくれます。忍者のように塀を乗り越え、路地をすり抜けていく子どもたち。「ここのうちのおばさんは怖いから注意してね」小声で町の情報を伝達しています。

 子どもにとっては町を歩くこと自体があそびであり、町の中にあるもので遊びながら、そこに生きる自然や人々、事物を自分たちの空想(ドラマ)の世界の中に取り込むことによって自分のものにしていくのです。あそびは、子どもたちの豊かな感性を育てているのです。

 Sケンや王さま陣取りや缶けりなどの集団あそびは、一人一人のさまざまな能力と社会性を育てています。片足けんけんで相手と戦うためには、足腰がしっかりしなければなりません。相手の目を盗んで動く王様を見つけるためには、相手チームの動きをよく観察し、それに合わせた的確な動きをすることが必要になります。鬼と子の息詰まる攻防戦が展開される缶けりのおもしろさは誰でも知っていることでしょう。

 時代を越え、地域を越えて伝達される子ども文化とでもいうべき集団あそびは、知恵と技をみがくあそびの集大成といえます。

 あそびには、子どもたちを人間として豊かに育てていく可能性がいっぱい含まれていますが、子どもたちは、決して、「役に立つから」という目的を持って遊んでいるわけではありません。子どもたちの旺盛な好奇心と、空想力と、友を求める心、ほとばしるエネルギーがさまざまなあそびを生み出し、伝えてきたのです。

 だからこそあそびは、人間として育つエネルギーであるとともに、人間らしく育っていくための糧となるのです。今の子どもたちが、十分なあそびができず、むしろあそびの中で人間性や社会性を崩していっているとしたら、それは、生き物としても人間としても不幸せな道です。