1. 子どもにつけたい3つの力

 「子どもには、周りの人たちと豊かな人間関係を作りながら、前向きに生きていける力を付けてやりたい」と考えている私は、明治大学文学部助教授の齋藤孝先生の「21世紀に伝えたい学力 ─ ぬすむ力(まねる力)・段取り力・コメント力」というテーマの講演会に行ってきました。


 先生は「キレる、ムカつく」子どもたちの現状を、身体論の立場から論じた本をたくさん書いている方です。話を聞いているうちに、先生の話されていることが私たちの活動の中にたくさんあることに気がつきました。


 当日の論旨は「長い間、子どもに付ける学力として『読み・書き・そろばん』が国民共通の認識だったけれど、現代の共通認識を作る必要がある」「それはすべての教科を通して、小学校から大学まで鍛えられるべき力で、さらにグローバルに求められ、どの仕事の世界でも必要な力でなくてはならないと思う」「よく言われる『生きる力』とか『個性』のような抽象的だったり、余りにも具体的すぎるものでは駄目で、評価をある程度客観的に共有できる必要がある」


 齋藤孝先生は子どもにつけたい力として次の3つの力を挙げています。


その1 ─ まねる力


 昔の教育の基本は「親方が言葉で伝えるのではなく子どもが見てぬすむ」ものだったから、「ぬすみ方が悪い」と子どもの方に責任があった。効率を高めるために学校教育になった現在、教え方が悪いと教師が怒られる。教育慾は教師の方にある、教師は教えたがる、それは技ではない言葉の押し付けなので子どもは嫌になる。


◇ 技とは何か


 量が質に転化する地点を技化するという。例えば「本を読む」短編や単行本を読みあさるうちに長編や大作が読めるようになる。本を読むにも技化が必要。このような体験があると「技に変わるまでやらないと損、やめてしまうと0と同じ」というのが自分でわかる。


 若い時に技にかえたものを多く持っている人ほど、年を取った時何でもでき、豊かな老後がおくれる。


◇ おまつり


 昔の人は、日常の平坦な生活の中でお祭りを作り、燃えくすぶっている生命(エネルギー)を一度に燃え尽きさせることを考えた。疲れた方が体が休まること、エネルギーは定期的に出しきらないと次のエネルギーがたまらないこと、エネルギーをためることが人間としての器を大きくすることを知っていた。


 それは、自分の考えている限界に追い込まれて突破すると、自分の自信になり、体力、器が大きくなる。投手が完投すると自信になる。完投するコツ、力の配分を覚える。余裕を持って事に接することができるようになる。こういう体験は誰にでもあるはず。


 大きな声が出せる、身体の全力をしぼるなど、エネルギーを出し切るのも技の一つ。しっかり疲労することができる。心地よい疲れを体験すると、心地よい疲れや、緊張感を味わいたいと思うようになる。エネルギーを出し切った時生きていることを感じられる。

 

 今の子どもたちの生活にはこんな体験をする場所や、全身が疲れることが無い。神経ばかり使って、対人関係で疲れている。「かったるい」「だるい」と「疲れる」は感覚的には似ているけれど、まったく別のもの。中学生にとっての「かったるい」は、エネルギーが溜まりすぎていることだから徹夜ができる。大人はかったるいと徹夜はできない。


◇ あこがれ


 今の子どもたちは大人になりたくない。成熟するあこがれが無い、あこがれる大人が居ない。よく若い程良いと言われている。「19歳でババア。人生は終わり」。これはかわいそう。大人になると楽しめたものが子どもでやれる ─ 例えばコンパ、高校生が飲み会を飲み屋でやっている。彼らの責任というより子どものうちから消費主体として扱っている社会の責任。


その2 ─ 段取る力


 大工さんの世界では、頭領は段取りができて指示できるのが仕事。技術全体、仕事や工程が頭に細かく入っていないとできない。食事作りは仕込みと手順、後片付けまである数少ない場面かもしれない。


その3 ─ コメント力 ~ 聞く人の力が大切


 まず話すきっかけを作ってあげることが大切。話を引き出す力がないと話にならない。生産的な話をする人と、蒸し返す人など、いろいろな人の中でまとめる力がいる。例えば今日、子どものことを聞くのに自分の意思で来る意識のある人の集団は場があたたかいけれど、学校の授業は子どもが自分で決める意識がないから受け身の集団。冷えた教室での授業は教えるほうも、子どももつらい。技を盗む意識で集まらなければ何も生まれない。


 対話とは意見が一致することではない、価値観が違ってそれでぶつかるのが良い。子どもたちの話は、話の中身が重ならない、まったく違うことを話しているのに笑っているのは不思議。かみ合わなかったら白けるはず。対話が生産的でないということは、相手の言っていることが解らないからだと思う。相手の言いたいこと、核心をつかむ訓練が必要。本筋をつかむのには能力がいる。今はこれを伸ばす場所なんだと意識して参加するだけで、得られるものがまったく違う。


◇ なぜコミュ二ケーションの力が必要か


 民主主義は要約力が原点。相手が何を言っているか理解することが根底にある。相手の意見を聞いて、何を言いたいかを理解し、自分の意見を言う。相手を理解しないで、他者との間に根本的な信頼関係は成立しない。


 法治国家の原点。法律とは、偉い人が決めたモデルではなく、集まった人たちが要求を出し合って、みんなで守ることを決めたもの。法律を決めるためには相手を理解することなく成立しない。


 齋藤孝先生は「こういう力を育てたい」という思いで、自分の授業の中や、教え子の若い教師たちと実践をし、検証を重ねている方です。学校の冷えた集団をどうしたら主体的な集団にできるか、その中でどうしたら3つの力が付けられるようになるか、努力されています。


 子どもに付ける力がこれだけでいいのか異論もあるとは思いますが、この力は付けていて欲しいものであることに間違いはないと思います。