5. はじめにもどって

 私たちの活動の中で育っているものを確認しながら、改めて考えてみました。齋藤孝先生のおっしゃる「まねる力、段取り力、コミュニケーションの力」の獲得は、決して十分とはいえませんし、獲得のための方法を考える必要などさまざまな課題を抱えながらも、指導員と子どもたち、それを包み込む大人たちの存在が、可能にしてくれています。


 でも、私たちの活動の中で育っているものについて、何かが引っかかっていました。資料に使わせていただいたみんなの思いを改めて読み直し考えてみました。指導員は子どもたちとの関わりの中で、子どもを見、子どもの声を聞き、子どもが何をしたいか、何が言いたいかを考え、あるいは考えあいます。資料はどう考えたかの記録でもあります。


 「今日の朝ご飯に何を食べたか聞いてもわからない、食べたかどうかも分からない。そんな子が何人もいる」と、心配する学童の指導員さんがいます。

 

 キャンプの時に、お腹が痛いと言う中学生にお通じがいつあったか、生理がいつだったか聞いても分からない。女の子は生理があった日を覚えていることの大切なことを話して聞かせたことがありましたが、人から与えられたことだけをこなす生活の中で、考えることを放棄してしまっていると思われる子どもたち。


 目の前に起きることだけではなく、わが身に起こることさえ流してしまっている子どもたちの状況の中で、私たちは「考える」子どもや、青年を育てているのだと思いました。しかもそれだけではなく「安心できる関係」「心を通じあえる関係」を作る力を育てていることに気づきました。これは齋藤孝先生の言う「コミュニケーション力」と言う押さえより、もっともっと根幹の人として必要な力なのではないのでしょうか。