1. 子どもたちの地域生活の変化

 あたりまえのようなことですが、子どもは、家庭・学校・地域の3つの空間で生活しています。家庭では親が子育ての主体者であり、学校では教師が教育の主導権を握っています。それらに対して地域は、子どもにとって自由な空間です。誰と何をして遊ぼうと、人に迷惑をかけない限りは、子ども自身の判断に任されています。

 子どもたちは、大人に管理されない自由な空間である地域の中で集団的な遊びを通して、友だち関係や人間関係を築き、技や知恵、力を育ててきました。

 虫取りや魚釣り、草花遊びや木登りなどの体験は、地域や自然への認識を育て、地域のおまつりや儀式などを通して、地域の慣習や近隣とのつきあいかたを学んできました。子どもたちが身近な自然や社会を知り、一人前の住民として育つために最低限必要な栄養素を地域はたっぷりと与えてくれます。

 しかし、戦後の50年間で子どもたちの地域生活は大きく変化しました。半世紀の日本社会の発展が残したもの、それは、学校でも家庭でも地域でも空洞化した生活を余儀なくされ、孤立し、空虚さと苛立ちを抱えた子どもたちの群れです。

地域環境の変化

 1960年代の高度成長政策、1970年代の「列島改造」政策にはじまり、1980年代の「バブル」経済による地域破壊の進行は、子どもたちの遊び場やたまり場となっていた空地や林や路地裏をビルや駐車場で埋めつくしました。拡幅された道路にあふれる車は、交通事故を引き起こすだけでなく、排気ガスなどによって、子どもたちの健康にも大きな被害を与え続けています。

 急激な過疎、過密の進行、人口移動は、住民関係や子どもの友だち関係にさまざまな影響をもたらしました。遊び場が奪われ、近所づきあいが不安定になるにつれて、子どもたちの遊び集団は急速に小さくなっていきました。

「学校化」される地域生活

 子どもたちの地域生活崩壊に追い討ちをかけたのは、小さい時からの塾やおけいこごと通いでした。1970年代から80年代にかけては、高度成長を支える「人づくり」が主張され、指示されたことには素直に従い、即戦力となる人材形成が求められました。

 学校では「詰め込み教育」と後に批判されるような授業のありかたや、1点を争う偏差値教育が行なわれ、一方ではそれに必死についていこうとする子どもたちを、もう一方では大量の「おちこぼれ」を生み出しました。

 「学校でのいい成績」「人より優れた能力を持つ」ことが子どもにとって幸せなことという価値観の中で、「勉強しろ!勉強しろ!」「人と同じことをしていてはだめだ!」「人にできないことをやれ!」など学校教育の価値観を家庭生活や子どもの地域生活にも持ち込まれました。

 小さい子、力のない子への配慮や優しさが必要だった異年齢の大きな集団から、同学年、同質の小集団への変化とともに「集団から落ちこぼれることの不安」「集団の中にいてもいつも比べられることの不安」が子どもたちの心を繰り返し襲うようになったのです。

 すべての生活と価値観が学校ナイズされる中で、その価値観になじめない子、疑問を感じる子、存在価値を否定された子どもたちの中に登校拒否や非行、校内暴力、家庭内暴力などの「問題行動」が噴出、表面化したのが80年代でした。

 こうした事態に学校は徹底した管理主義で子どもたちの行動を抑えようとしました。常識では考えられないような厳しい校則による生活の細部までの締め付け、体罰の横行など、子どもたちには人権が認められないかのような状態が多くの学校でつくられたのでした。

 「管理」の目の届かない「地域」は、子どもたちの欲求不満の捌け口となりました。公園や公衆トイレ、電話ボックスなどが壊されたり、いたずらされたりの事件があいつぎ、子どもたちが大勢でたまっていると近所の人が110番通報すると言うような町ぐるみの監視状態も作り出されてきました。

 80年代の後半になると、それまでの教育を「反省」して、「ゆとりの教育」「個性を生かす教育」「教育の自由化」が言われるようになりました。しかし、これらは、グローバル化社会を勝ち抜く「人づくり」教育の一環として提起されており、学校選択性に見られるような「自由化」や学校の「多様化」などは、これまで以上の「競争」を生み出しながら、「同じ地域の子が同じ学校に通うことで仲間になる」というかろうじて残っていた子どもたちの「地域共同体意識」を完全に破壊する可能性を持っています。

家庭生活の希薄化、孤立、崩壊

 1970年代には、家電製品が急速に家庭に普及しました。その結果、掃除、洗濯、炊事、風呂焚きなどの「家事労働」から女性が解放されただけでなく、そうした「仕事」の重要な担い手であった子どもたちの家庭での役割がなくなり、「自分がやらなければ」という責任感や存在感が薄れていきました。

 さらに1970年代からのテレビの普及、1980年代のビデオの普及、1983年の「ファミコン」の登場以降のテレビゲームの爆発的普及、ファーストフードやコンビニエンスストアのひろがり、子ども部屋の普及など、家庭の中でも孤立してあそび、食事をし、寝るといった生活全体の「孤立」が問題となってきています。

 1990年代のバブル崩壊以降は、世界的な経済危機の中で、グローバル化が叫ばれ、国際競争に勝つための「24時間眠らない企業作り」による、長時間労働、深夜労働、派遣労働や非常勤などの不安定な雇用形態が蔓延し、それを支えるように24時間、年中無休の保育所が次々と開設されています。労働基準法や児童福祉法がこうした非人間的な労働と保育のありかたに歯止めをかけるのではなく、むしろ、後支えするために改正させられているところに問題の深さがあります。

 その結果、共働きの家庭生活の崩壊、子どもの家庭生活や地域生活の完全崩壊、共働きでない家庭でも、単身赴任やリストラによる出向など父親の労働不安が家族に与える影響は計り知れないものがあります。

あそびやコミュニケーションの商品化と孤立化の進行

 80年代後半から特徴的となったのは、マスメディアを駆使した「遊び」の商品化です。100万部発行をうたう少年漫画雑誌とテレビアニメ、おもちゃメーカーが連携し、特に男子の間にミニ四駆やベイブレード、遊戯王カードやポケモンカードなどの爆発的なブームを作り出しました。

 これらは、単に玩具メーカーが開発した遊具やカードで遊ぶと言うだけでなく、コレクション性を付加して射幸心をあおりました。女子の間では、プリクラやキャラクターシール、アイドルカードなどが流行しています。さらに、これらのグッズやキャラクターを題材にしたゲームソフトが開発され、伝承的な遊び文化の衰退にとってかわった感があります。

 1990年代後半からの携帯電話の爆発的な普及によって、現在(2002年)では、高校生の大半、中学生の多くが所持し、小学生にも広まっています。メール機能の充実とともに、携帯電話は単に連絡のための手段ではなく、文字や映像や音楽などを多面的にとりこんだコミュニケーションツールとして特に10代~20代の若者に利用されています。

 「直接話すよりもメールのほうが自分の気持ちを伝えやすい」「いつでも友だちとつながっているような感じ」と、24時間肌身はなさず抱え、時間と所かまわず通信しあっているようすは、携帯電話依存症とでもいうべき事態にもなっています。

 携帯型のゲーム機には、対戦モードという通信機能がずいぶん前から装備されていましたが、インターネットの普及とあいまって、自宅で一人でいても、離れた、見ず知らずの人間と同じゲームを楽しんだり、ゲームをしながらチャット機能をつかって会話を楽しんだりなどということができるようになりました。今後、インターネットを利用したテレビ電話の普及によって子どもの遊びの世界やコミュニケーションのあり方がますます商品化、孤立化していくことが予想されます。

孤立し、むなしさを抱えた子どもたちの群れ

 子どもたちが地域や家庭で置かれているこうした状況を簡単に表現すると、「自由な遊び場やたまり場を失い、管理的で多忙な学校生活に疲れ、学校だけでは不安と塾やおけいこごとにかりたてられる日常生活。人間としての基礎を育てる家庭には、果たすべき役割や仕事はなく、存在感のない日々。両親は仕事に忙しく、すれちがいの生活の中で食事も一人で済ますような孤立した生活。子ども部屋にこもり好きなミュージシャンの歌を聴きながらテレビゲームやインターネットで時間をつぶす。携帯電話に入ってくる友だちからのメールが何よりの楽しみ。友だちと一緒にいたいけれど、同じ物を持ち、同じファッションをし、同じ話題に同調しないと仲間はずれにされたり、いじめられたりしそうで怖い。部活やスポーツは仲間もいるし楽しいけれど、自由な時間がなくなるし、いつも人から比べられるのが辛い。やめると仲間もいなくなるし、まわりから「ダメ人間」のように見られるので、休んだり、やめたりもできない…」ということです。

 こうした状況から子どもたちを救い出し、地域も家庭も学校も本来持っている教育力をまっとうに働かせるようになるためには、学校だけが、家庭だけが努力しても解決しません。