1. 子育て、子育ちをめぐる状況の深刻さ

 児童は、人として尊ばれる

 児童は、社会の一員として重んぜられる

 児童は、よい環境の中で育てられる

 

と、いう言葉で始まる児童憲章(1951年5月5日制定)には、すべての児童は、「心身ともに健やかに生まれ、育てられ、その生活を保障され」、「社会の一員としての責任を自主的に果たすようみちびかれ」、「よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境から守られ」、「虐待、酷使、放任その他不当な取り扱いから守られる」ことを宣言しています。


 しかし、現実は深刻です。子どもたちは、「環境汚染や母体の汚染で生まれる前から生命の危機にさらされ」「学校でも家庭でもいい点数をとる『いい子』を要求され、自分の思いを述べたり、自分の思うことで社会的な行動をとることを許されず」、「遊び場を奪われ、テレビやゲーム、ビデオ、週刊誌など暴力やゆがんだ性描写などの洪水の中に放り出され」、「いじめや虐待、放任に気づいてもらえず、救いの手もさしのべてもらえない」中で必死に生き抜いていこうとしています。さらに深刻なのは、こうした状況が30年以上にわたって深まる中で、すでに第一世代が親となり、困難さを拡大再生産してしまっていることです。


 研究会の中で、保育士の古澤さんは

 

「親自身に『人と話すのが恐い』という人間観の喪失がある。また、手作りの食事や家族そろっての団欒など生活実感のある家庭生活が見えなくなって、家庭に自分の存在感・居場所が見えない幼児がいる」

 

と言い、同じ保育士の飯田さんは

 

「乳幼児の成長・発達を阻害しかねない生活感覚 ―― 朝食をとらないとか、夜中まで幼児を起こしておくとか ―― がある。『それでいいんだ』と言いきれてしまう価値観に驚かされる」

 

と言っています。また、「親だから…と仲良くすることを要求されるのはいや」「相手の親の顔を見るとイライラする-いっそいなくなったら…」と親同士がうまく関係を築くことができないことも指摘されました。

 

 「『いい子』に育てなければというプレッシャー」「早期幼児教育についていかなければというプレッシャー」「子どもの失敗が許せず『暴力』」「家族を信頼できず我が子を『溺愛』」「頭で子どもを理解しようとしてなぜ泣いているのかもわからない『無力感』」…など、乳幼児を持つ父母―特に育児を一身に背負わされてしまう女性が、自分の生育暦やその中で育った価値観とのジレンマに激しく悩んでいます。


 そうした、母親たちに追い討ちをかけているのが、男女雇用均等法による女子の深夜までの労働や労働者派遣法による労働条件の切り下げを伴う「派遣労働者・出向労働」の増加です。「働く母親の帰宅時間が遅くなり、中には深夜まで帰宅できない母親や子どもが病気でも休みが取れない母親が増えています。サービス業や情報関連企業への就労の増加は、24時間・年中無休の労働体制の中に子育て中の家族も置かれることになり、親たちが参って」(飯田さん)いるのです。