1. プロローグ

   ~ 時代の背景:子育ち・子育ての新たなビジョンの登場 ~

 実は、こうした時代を導いた注目すべき複数の要因が明らかに存在する。簡単に確認しておきたいと思います。


「グローバルスタンダード」の波が押し寄せた!


 世界的な規模で経済活動が展開し、それによって各国がより一層緊密に結び付けられるようになるにつれ、個々の国の動きが互いに大きな影響を与え合う状況となりました。こうした動きに秩序を持たせていくには、共通な尺土を設定し、それに基づく社会変革を各国が進めていくしかありません。


 ここ数年から10年くらい、「グローバルスタンダード」という言葉をしばしば耳にするようになりました。直訳すれば、文字通り「世界的基準」ですが、経済活動の中枢を担う金融、通信、交通、流通などの分野で先進的にその導入が進められました。こうしてグローバルスタンダードはますます影響力を強め、導入の動きは連鎖的に様々な分野に拡大していったのです。


 規制緩和 = 自由競争・市場原理・分権を主要な原則とするグローバルスタンダードは、今や社会変革を推進する道しるべとして、企業経営、行政はもとより、社会のあらゆる側面に適用され、各々の分野の改革を主導する基準として機能しています。


 この点、日本という国も、また、子育ち・子育てに大きな影響を持つ教育や福祉、行政や自治の分野も例外ではありませんでした。1990年代の前半における導入のための揉み合いの時期を経て、グローバルスタンダードは、90年代も半ばになると、各分野での導入の方法が少しずつ明らかになり始めました。そして、遠からず具体的な形として示されることになったのです。


 後掲の資料「子育ち・子育てについて考える視点と課題」、資料「自治体改革の背景と今後の動向について考える視点と課題」をご参照ください。


 1998年の春から秋にかけて、中央教育審議会から出された「今後の地方教育行政の在り方について」や生涯学習審議会の「社会の変化に対応した今後の社会教育行政の在り方について」、中央社会福祉審議会の「社会福祉基礎構造改革について」等の一連の答申は典型ですが、その本質は、教育や福祉の分野へのグローバルスタンダードの適用そのものです。


 また、1996年以降、数次に渡って提示された地方分権推進委員会勧告を踏まえ、同年5月、「地方分権推進計画」が閣議決定され、翌1999年7月、地方分権一括法案が成立しました。地方自治改革におけるグローバルスタンダードの適用も完了しました。


 それを補完するように、遅れて12月にはNPO法が施行となりました。公と民の分業と協力による自治の創造がスタートする礎が築かれました。人々の生活圏である地域に所在し、子育ち・子育てにも関係が深い公立の社会教育施設等の設置や運営のあり方に多大な影響が及ぶことは間違いありません。


子どもの人権擁護・権利保障も世界的基準に則って

~ 子どもの権利条約の登場 ~


 一方、1994年には、子どもの権利条約が日本においても批准され、子どもの権利擁護の世界的な基準が機能することとなりました。日本における子育ち・子育てが世界から注目されています。この世界的な基準が、従来の子育ち・子育てのあり方に見直しと変革を求めるよい意味の圧力として影響力を発揮しているのです。


少子化対策&子育ち・子育て支援は横連携行政

~ エンゼルプランと全国こどもプラン ~


 同じ年、四省の合意によりエンゼルプランがまとめられました。翌年には、緊急保育五ヶ年事業が発表され、プランの実質として施行に付されることとなりました。地方版エンゼルプラン(児童福祉計画)の策定も少しずつ広がりをみせるようになりました。


 やがて、1998年8月には、やはり複数省庁の連携による施策の展開が重要な特色をなす全国子どもプランが文部省から発表されることになります。そして、1999年12月には、緊急保育五ヶ年事業の主要な事業項目と全国子どもプランの中核事業を取り込み、さらに、母子保健等の新たな施策を盛り込んだ新エンゼルプランが登場しました。同じ年、それに先立って、青少年問題審議会が青少年育成基本法の制定を答申するにまでいたっていました。


 これらの動きは単に少子化対策のみならず、今日、子育ち・子育て支援には、福祉とか、教育といった枠を越えた包括的な視点と施策が必要になったこと = 真に有効と考えられるようになったことを意味しています。


 もっとも、そもそも子どもの健やかな育ちは福祉的な保護の機能によってのみ促進されるわけではなく、教育的な発達支援、保健・医療のサポートも欠かせません。伝統的にはこうした力の総合による営みであったわけだから、本来のあるべき姿に回帰しつつあると言うべきかもしれません。

 

貧困・不衛生から過剰なまでの物質的な豊かさがもたらす矛盾へ

~ 子育ち・子育ての矛盾をめぐる本質の変化 ~

 

 実際、この間、1998年4月には、児童福祉法の改正という歴史に残る動きが生じました。半世紀ぶりの大改革の本質はまさにパラダイム転換であり、貧困や不衛生の下にある子どもたちの救済ないしは措置から、過剰なまでの物質的豊かさの中の矛盾に喘ぐ子どもたちの主体的な育ちを支援すべく、抜本的に児童福祉の仕組みを変える必要が認識されたことによるものであった。


 ここには、複雑・高度・多様化する子育ち・子育てのつまずきや課題を、地域に所在する機能再編された複数の関係機関の連携と協力で巧みに解決していこうとする理念が背景にあります。子育ち・子育ての支援は、もはや保育園と学校という限られた特定の施設にのみ委ねておく = 施設に子どもたちを囲いこんでおく時代ではなくなったのです。


自己実現

~ 生きがいの創造と生涯学習の時代 ~


 子どもたちを地域に誘う動きが一層顕在化したのも90年代の特色でしょう。1992年に変則的ながら、学校週五日制がスタートし、1994年には月2回の土曜日休校が実現するにいたりました。


 子ども達に対する学校のしばりが幾分緩められたことも理由の一つですが、物質的な豊かさと技術革新がもたらした利便さを背景に、80年代も半ば頃になると人々の生活は多分に自分の都合や価値観を優先するスタイルに変わり始めていました。


 70年代のオイルショックの影響で、もはやそれ以上の物質的な豊かさを競い合う時代ではなくなり、むしろ心のゆとりを尊重する価値観が育ちつつあったのです。例えば、80年代には、ボランティア活動も本質に照らしてボランティア「学習」と呼ばれる状況が生まれてきました。活動を通して自分は何を学んだのか?誰かにつくすのではなく、活動を通しての自己の精神的な育ちが重んじられるようになってきました。


 まさにボランティア活動の教育的意義であり、学校も注目し、カリキュラムに導入を進めるところも出てきました。ボランティア活動の拠点は概ね学校の外である地域にあるから、地域の様々な関係施設や人々との交流が進むことになります。そして、子どもたちは地域で新たな発見に出会い、また、地域の人々も学校の教員も、地域が持つ教育力に改めて気づかされることとなっていきました。


 加えて企業の週休二日制もますます拡大し、一家の団らんを含め、休日の余暇をどう利用するか?よい意味の課題が人々につきつけられることになりました。


 さらには、通信・音響機器の技術革新に象徴的なように、新しい知見や技術が次々に登場し、誰しもひたすら学び、それらを吸収する努力を続けないと、もはや世の中に生き残れない状況も明らかになってきていました。1990年には、通称・生涯学習振興法が成立し、政策的にもこうした流れを一層加速する動きとなりました。


 さりとて、休日の度に旅行やショッピングというわけにもいかず、人々の目は生活圏である身近な地域に向けられ、そこでの趣味の謳歌や自前の学びが模索されることとなりました。親(大人)も子どもも一緒になって地域で過ごす場面が増えたことになります。


 少年野球やサッカーの指導者、ボランティア活動のリーダーと子どもたちとの関係よろしく、様々な立場の大人と子どもが出会い、活動したり学んだりする可能性が一段と大きくなりました。その意義や成果も衆目の一致するところとなっていきました。


 学校の制度疲労が語られる一方、その処方箋として、学地連携といったコンセプトが浮上することになった背景は、こうして着々と整えられていたのです。学校と社会教育施設の連携による教育の相乗効果への期待という学社連携の考え方、過疎化・都市化で荒廃し、共同体としての性格を失った地域社会の教育力再生論でにぎやかだった70年代とは異なる「地域」へのこだわりの本質がここにあります。


 このように、グローバルスタンダードの適用、計画的な取り組み、関係機関の積極的な共同による重層的な支援、子どもの最善の利益と権利の擁護、地域の人的・物的資源の有効な活用を概ね特色とする新たな = 今日的な子育ち・子育て支援のビジョンは、1996年頃にほぼ出揃い、1998年に答申や法律等、具体的な形となって整備されたとみられましょう。子育ち・子育ては、もはやグランドセオリーを求めて理念・理論の揉み合いを重ねる時代ではなく、確立されたビジョンを体現するための「実践」の時代に入っています。