4. とことん遊べないことが今の子を追いつめている

 子どもたちの遊びの世界は、いわゆる教育的なものばかりではありません。よく遊んでいた昔の子どもたちのあそびの中には、ベーごまやめんこ・ビー玉のようにものを取り合ったり、五寸釘や王冠を線路の上に並べて電車に引きつぶさせて、手離剣を作るなどの危険極まりない遊びもありました。

 廃屋に忍びこんで秘密基地をつくったり、近所のうちの柿の木から柿を盗んだり、畑の作物を失敬してきたりということもあそびのひとつでした。どれだけ高い木の枝から飛び降りられるか、川にかかるわずか20センチぐらいのコンクリートの桁を自転車で渡れるかを競い、そんなことができる事が男の子の中でのひとつのステータスだったりもしました。いじめたりいじめられたり、取っ組み合いや殴り合いのけんかをした事もありました。

 では、どこが今の子どもたちとちがうのでしょうか?昔の子どもたちには、ありあまる自由な時間とその時間を共通に使える仲間が大勢いました。「きょう遊べる?」と遠慮がちに聞き、ある子と約束したあとに他の子から電話が入ると「○○ちゃんと約束しちゃったから、○○ちゃんがいいって言ったらいっしょに遊ぼう」と友だち関係を結ぶのに苦労している今の子どもたちとは大きな違いがありました。

 遊ぶ時間も大勢の遊び仲間も、草や木が生え虫や蛙の住む広くて豊かな「空き地」と言う遊び空間も存分にありました。日が暮れるまで鬼ごっこや陣取りや缶けりをして遊んで「また明日ね」と別れ、その言葉どおり次の日もみんなで集まっていました。コマの技を磨いたり、秘密基地の構想を考えたり、意識はいつも遊びそのものに向いていました。ときどき友だちとの諍いがあったとしても、いつまでもそのことにこだわっていたら自分が損をしてしまうと思える程、夢中になれたり、ワクワク・ドキドキしたり、集中できる遊びの世界がありました。

 友だちとやっと約束してもなにをして遊べばいいのかわからない。家でテレビゲームや漫画をばらばらにやって、外にでたら自転車で「なにかおもしろいことはないか」と物色して歩くのが今の子どもたちの共通した姿です。たまに何人かそろって集団遊びが始まったとしても塾やおけいこごとで抜ける子がパラパラ出て、夢中になって遊び切るとことにはなりません。

 発散し切れないエネルギーを抱えて「ムカムカしている」子どもたちがたまたま目の前を横切った子に腹を立ててぶつかっていったとしても何の不思議もないのです。学校や家庭の状況もさる事ながら、子ども社会の中で誰もがいじめる側にもいじめられる側にもたってしまう状況をもっともっと理解する必要があります。